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デジャブ

未知の世界の中にあり、不思議で興味深いものの一つに超心理があります。

1.経験

私が実感したのはデジャブ(予知夢)を見たときです。私の場合、数年~10年に一度くらいで見ます。その時、いくつかの条件が重なっていたことに気づきます。何かに没頭(集中)している、何かを強く求めている、かなり疲れている、ぐっすり眠った夜、です。デジャブではありませんが子供のかゆがっていたところと同じ部分がむしょうにかゆい、と思ったら子供の調子が悪かった、ということもあります。

デジャブは単なる脳の疲れにすぎず、たまたま同じような場面を予知夢と思う錯覚にすぎない、との説もあったかと思います。私は科学者でも宗教学者でもないのですが、それでも予知夢はあると思います。細かい部分が一致し、それは確率何万分の一なのか分かりませんがあまりにも低そうで、体感的に偶然とは思えないからです。

2.虫の知らせ

超心理状態は誰でもなりうると思います。“虫のしらせ”は古来から日本でも有名です。

渡り鳥は一糸乱れず数千キロを正確に飛び、蟻は複数集まるとパワーが何倍にもなり重いものを運ぶことができることはよく知られています。言葉はもたず、本能といわれるものの中に、テレパシー的なものが含まれているのではないかと思います。

人類はこうした能力を獲得していないのではなく、進化の過程で獲得済みのものを封印してしまった、と考える方がしっくりきます。

言葉を使いあれこれ連想する人間が、しょっちゅう予知夢やテレパシーを感じたとすれば何が何だか分からなくなって精神不安になり落ちついて暮らせなくなるはずです。意思疎通の手段としての言葉と引き換えに、超心理のコントロールは難しくなり、ほとんど感じなくなったのでしょう。その必要が大きく増したとき、まれにブロックが外れ超心理は出現するのです。 

3.超心理の媒介

では何が予知夢やテレパシーを媒介して(運んで)いるのか、という疑問もわきます。脳が電磁波を発生させていることから、テレパシーや予知夢など超心理は自分以外による電磁波をキャッチし引き起こされる、という説があります。

これについて、私の予知夢は外国など遠いところでの出来事であったことが2回(①1か月先の未知の異国人との出会い、会話内容、風貌、場所、職業などの一致、②翌日その国で発生した出来事それ自体)あり、海外からの電磁波は相当に微弱になるはずではたして届くのだろうかと疑問符がつきます。

4.量子力学と未来

ニュートン、アインシュタインの物理学とは異なる世界があることが量子力学により判明しました。未来はこうなるとこうなる、といったふうに機械的には定まっていない、ただ確率がわかっているだけ、という世界です。

人間の発想、感情、意思は、ニュートン力学のように脳内の化学物質の分泌でもかなり説明できるのかもしれません。ただ、すべて機械的に説明されるものではなく、不確定であり、その時、その時に量子力学的に決まる部分もある、という見方に傾きます。

ここで未来は定まっていないとするならば、予知夢もありえないのではないか、という疑問が新たに生じます。この点について、私が見たデジャブでは細かい部分は確かに一致していたものの、微妙に違う部分もありました。

事例から類推されることとして未来は確率論的には”大きな”流れが決まっており、細かい部分は決まっていません。”大きな”がどれくらいをさすかは植物、動物、その人、神様、レベルによバラバラと考えます。

そして超心理の媒介は、電磁波といった波動のような、人間が気づいているものによるのではなく、いまだ発見していない、もしくは発見されえない何かによるのではないでしょうか。1か月先の出来事が波動でさかのぼって伝わり夢となることができるだろうか、と思うからです。

5.仏の教え

別のアプローチとして、脳が全能を発揮し、確率論的に未来を推測してしまっている可能性もあります。そうすると予知は自己完結で可能となり、自分以外による思いや考え、もしくは出来事を、空間と時間を超え、目や耳以外の感覚器官を通じ、どのように感じ取り意識するのか、という問題は消えてしまいます。

ただ、自己完結にという点はもう少しゆるがよいのかもしれません。人間のこころと宇宙の意識は同じである、という仏教思想があります。脳以外の筋肉、臓器もいろいろなメッセージを出しており、脳だけが思考、感情の司令塔ではない、という現代医学の研究もあります。

6.最終結論

これらすべてから類推されるのは、人が考え、感じているのは自身の脳、細胞だけでなく、さらには他者の細胞、出来事による信号(のようなもの)もとりこんでいるというイメージです。

それは現代物理学による電磁波、重力波など波動による媒介によらず、また神経による受信といった神経学のメカニズムをもしかしたら超えており、量子論で証明されたミクロ世界で起こるテレポテーション、いやむしろ自我との境そのものがなく、それ(ミクロでのテレポテーションによる媒介など)にすらに依存しない、それこそ仏のいう“空”のような、有でも無でもない、ただはっきりした存在なくつながり続けていることの結果それ自身というイメージです。

仮に細胞が自我・肉体の垣根なく、時間を超え世界の中に浮かんでいる深遠さを持つならば、それを前に私には思いもよらないというほかありません。

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