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価値観の一致

81年前の1936年、226事件が起こりました。事件発生から4日目、「兵に告ぐ」のビラまきや放送により、下士官以下の兵が次々に投降し、クーデターは鎮定されました。 当時の戒厳司令部参謀長による手記を読みますと(父より昔母の親戚だったと聞く)、即刻に武力鎮圧すべきと主張する強硬派(石原莞爾大佐ら)と、流血の惨を見ることなく、皇軍相討ちは絶対に避け、事態を収拾すべし、とする軍事参議官らの板挟みとなり、他の人には分からない苦慮をした(~苦衷ハ当事者外ハ之ヲ体験シエサル所ナルベシ)とあります。 一旦は、青年将校らが、奉勅命令を受け入れ、下士官兵以下を帰す、と伝わっていたものの、2月26日の発生から3日目、28日夕方になり、「昼食後二至リ形成一変寝返リセリ、(中略)奉勅命令ハ徹底セズ」、との報告を受けました。司令部の歓喜は水泡に帰し、司令官は、万事休す3日間示した好意が水の泡になった、と怒り兵力の使用を決断した、とあります。 29日に、参謀長自ら掃討の命令を下す、とあります。その中であらゆる手段の一つとして「今からでも遅くはないから~」で有名な「兵に告ぐ」のビラをまき、順逆を説く努力を尽くしたとあります。この作戦が奏功し、クーデターは平穏理に鎮定されました。29日以降は、事件の真相、とりまく人間関係、国内情勢・経済への影響、海外の反応、事件後の統治方針など、生々しい内容が淡々と記されています。 現代に移り、アジア情勢です。複雑で一概に単純化できず難しい問題とは分かった上で、一旦はいずれかの主要国から非核化の提案が改めてなされ、そこで決着に向かうか、さもなければ次のフェーズに進展することが弱く推測されます。私はそれほど立派な人間ではありませんが、犠牲となり悲しい思いをする人々がでないことを祈ります。

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